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歴史

1- 石切劔箭神社<東大阪>

2025.02.20

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A-1|石切劔箭神社・絵馬殿

絵馬殿(えまでん)についたら、まずは屋根を見上げてみよう。立派な剣と矢を見つけることができる。神社名の「石切劔箭(いしきりつるぎや)」は、強固な岩をも切り裂き、貫くほどに御祭神の力「御神威(ごしんい)」が偉大である様をあらわしている。

はるか昔、記紀神話(ききしんわ)時代。天照大神から「十種の神宝(とくさのかんだから)」をさずかった「饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)」。この地に降り立ち、先住していた一族の長、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹と結ばれ、生まれたのが「可美真手命(ウマシマデノミコト)」だ。石切神社ではこの二柱(ふたはしら)の神様を御祭神(ごさいじん)として祀っている。

実はこんな物語もある。神武天皇が世を平定するために東へと進み、この地に入ったとき、ミコトはすでにこの地を治めていた。突然現れた神武天皇(じんむてんのう)に長髄彦は激しく抵抗したが、ミコトと神武天皇が天孫(てんそん)の証である天羽々矢(あまのははや)を互いに示し合うことで、共に天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫であることがわかった。

そこでミコトは長髄彦に配下に入るように諭し、ここに大和国(やまとのくに)が建国したのである。その後、ミコトの一族は「物部氏(もののべし)」となり、天皇に仕えることとなった。

A-2|石切劔箭神社・穂積殿

本殿の北側にある穂積殿(ほづみでん)。「穂積(ほづみ)」とは先ほどの物語に出てきた「物部氏」の氏族(しぞく)のひとつ「穂積氏」の氏名(うじな)である。そして代々石切神社の祭祀(さいし)を継承しているのは、穂積姓から転じた木積(こづみ)氏である。

石切神社は「でんぼの神さん」として知られているが、これは「伝法(でんぽう)」が由来とされる。伝法とは、木積(こづみ)氏に古来から伝わる門外不出の秘法。また関西の言葉で「でんぼ」は「腫れ物、できもの」のこと。石切さんに参ればでんぼが治るとお参りする人が後を絶たない。

この穂積殿には通常立ち入ることはできないが、1階には宝物館があり、年に数回公開されている。石切神社所蔵の数々の御神宝(ごしんぽう)を見ることができるので、是非その時にお参りしてみてほしい。

A-3|石切劔箭神社・本殿(百度石)

境内の前に立つと2つのお百度石(ひゃくどいし)の間を 何度も行き来し、お参りしている人の姿を見かけるだろう。日本では昔から「神様に百度お参りすると願いが叶う」と言う「お百度参り(おひゃくどまいり)」が行われており、ここでもたくさんの人がお百度参りを行っている。

境内右手にある授与所、もしくは崇敬会館(すうけいかいかん)で「お百度ひも」を手に入れることができる。一周まわるたびに、お百度ひもを折って参拝すれば、「今、何回目なのか」と迷わず参拝することができるだろう。

「でんぼの神さん」として知られる石切神社だが、腫瘍を断ち切るということから「ガン封じの神さん」としても信仰されている。現在は平和な世の中になり、医療が発達し、寿命が伸びた。病気に悩みながらも、折り合いをつけて生きていかなくてはならない時代。石切さんは、そんな悩み多き人の心の拠り所となったのだ。

百度石の上部はすり減り、形を変えていっている。すり減った石は「私の、あの人の、病気が良くなりますように」と、人々が願いを込めた想いの丈を表しているのかもしれない。

EX:石切参道商店街

御本社(ごほんしゃ)と、生駒山の方角に15分ほど登ったところにある上之社(かみのしゃ)を繋ぐ参道に、石切参道商店街がある。商店街の中にはお菓子やみやげ物を扱う店もあるが、占いの店も多い。一体、なぜなのか。占いの話の前に、この参道の歴史について知る必要がある。

昔この地には、たくさんの水車小屋が建っていた。生駒山から流れてくる水で水車を回し、粉を挽いた。生駒の山は、修験者(しゅげんしゃ)が修行の場としており、山で生活をする彼らは植物や鉱物の専門家でもあった。鉱物のあるところに生える植物は薬になるため、採取したものを村の人と物々交換をして暮らしていた。村の人はその植物を粉にして、薬として売り出した。こうして江戸時代は、和漢薬のお店が参道に集まった。

参道が大きく発展をとげたのは、大正時代。鉄道が敷かれ、石切駅が開業すると近畿一帯から多くの観光客が訪れた。しかし時代が昭和になり、電力の発達とともに水車は次第に姿を消していった。上之社よりさらに奥に進んだ場所にある「辻子谷水車郷(ずしだにすいしゃごう)」では、復元した水車を見ることができる。

戦後、石切さんは次第に「ガン封じの神さん」としての信仰が厚くなっていく。病気と共に送る人生。行き場のない思いを抱える人に寄り添う人生相談所が、参道に増えていった。そしていつしか「占い」という形に変わっていったのだ。不安や悩みからは逃れられぬ。それなら少しでも心を軽くしたいと、何かに頼る。そんな気持ちは、昔も今も変わらないのかもしれない。

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

※掲載情報は2025年2月時点のものです。掲載店舗・施設に関する最新の営業時間は各店舗・施設のHPなどでご確認ください。

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