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3- 瓢簞山稲荷神社(東大阪)

2025.02.20

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    C-1|瓢簞山稲荷神社・鬼塚・大塚

    日本三稲荷の「瓢簞山稲荷神社」。神社の本殿は「瓢簞山古墳(ひょうたんやまこふん)」と呼ばれる双円墳の上にあり、その古墳がひょうたんの形をしていることから「瓢簞山」と呼ばれるようになった。

    本殿に向かって左側は「大塚」、右側は「鬼塚」と呼ばれ、大塚の石室には、神の遣いのキツネが住んでいた。 

    豊臣秀吉が大坂城築城の際に、吉方位の方向に、自身の馬印であったひょうたん型の山があるこの地に、瓢簞(ひょうたん)の神「ふくべ稲荷」を金瓢と共に鎮め祀り、神社を創建したとされている。

    C-2|瓢簞山稲荷神社・本殿

    社殿は瓢簞山古墳の上に建てられている。古墳の西斜面に建つので、拝殿、幣殿(へいでん)、本殿と奥になるほど上に連なるようになっているため、自然と奥の拝殿を見上げるように参拝することになる。社殿は江戸時代に造られたが、拝殿は平成に大改修を行った際に銅葺き(どうぶき)屋根となり、現在の形になった。

    また、本殿の回りには、芸能・芸術の神様や学問の神様など、いくつもの神様が祀られているので、ぐるりとまわって参拝してみてほしい。特に、安産や子授にご利益のある大塚の祠や、勝運、金運のご利益のある戸川神社は、遠方から足繫くお参りする方もいるそうだ。

    この稲荷神社になぜ多くの人が参拝するようになったのか。それは、幕末の頃から流行した「辻占(つじうら)」の影響が大きい。

    C-3|瓢簞山稲荷神社・占場

    瓢簞山稲荷神社は、京都から高野山へ向かう東高野街道に接しており、巡礼が盛んだった江戸時代は多くの旅人が行き交う場所だった。そしていつしかこの辺りで吉凶判断をする老女が現れ、その噂が広まり、やがて多くの人が占いを目当てにこの地に足を運んだ。

    それは道行く人の身なりや会話の内容を見て、運の行く末を占い、「次に角から曲がってくる人が女性なら、恋は叶うだろう」「お茶屋に座っている2人が儲け話をしていれば、商売はうまくいくはず」などと占ったそうな。次第にこの地には占い師が増えていったようだ。やがて、神社の宮司がこれらの占いを現在も続く「辻占判断」に整え、その評判は大阪のみならず、広く知られるようになっていった。

    瓢簞山の辻占を一気に世に知らしめたこんな話がある。

    幕末のある日、能登から来た浪人が「武士をやめて、店を開こうと思うが占ってほしい」と瓢簞山稲荷神社にやってきた。宮司は「西の賑やかなる所で店を構えよ」と言い、その浪人は大坂で魚すきの店を開いた。お盆に饅頭を載せた人が通ったので、「店の名は『丸萬』にすればよい」とも言った。その店は大いに繁盛し、浪人は感謝を込めて、稲荷の社に鳥居や玉垣を奉納した。現在も占場の鳥居や境内の玉垣にも、その店の紋が刻まれたものが今も残っている。

    これが評判を呼び、船場の商人はこぞって瓢簞山へ足を運んだ。宮司は、ここまで来られない人たちのために、おみくじをつくって、「恋の辻占」という口上で大いに評判を呼んだ。日本全国どころか台湾から買いに来る客もいたんだとか。

    明治終わりには、神社の周辺には茶屋や旅籠が軒を並べ、大層賑やかなまちになった。特に足を運んだのが、船場の相場師たち。船場から人力車で列をなしてやってきた。しかし皆が、かの有名な宮司に占ってもらえるわけでもない。 

    船場の商人が「ちょいと瓢簞山へ行ってくれよ」と人力車を呼ぶ。人力車は走りながら「旦那さん、何悩んでるんですかい」と話をする。「いや、俺の甥っ子がな」「それは大変ですなぁ」。すっかり打ち解けた旦那に「ほんなら、あそこの占いがいいんとちゃいますか」「じゃあ、任せたわ」。人力車の車夫は占い師に聞いた情報をこっそり流し、それで随分儲けたとか。

    ところが時代が移り、鉄道が開通すると状況が一変する。電車が通ったことで瓢簞山は日帰りで行く場所になってしまった。

    旅館やお茶屋は少なくなり、インチキの占いもまかり通らなくなった。

    現在も、瓢簞山稲荷神社では当時と同じ「辻占判断」を行っており、予約をすれば占ってもらうことができる。また、社務所では「辻占おみくじ」を授与しており、線香の火をあてると運勢を書いた部分が焼き抜かれる「やきぬき」、火で文字が浮かび上がる「あぶりだし」など、おみくじの3種類が同封されている。そして最中の皮である餅花の中に辻占のおみくじが入ったものを笹にくくりつけた、フォーチュンクッキーの原型であるともいわれる「辻占ひょうたん笹」も知る人ぞ知る名物である。

    旅の締めくくりに、占いと縁のあるこの場所で運勢を占ってみてはいかがだろうか。

    ★|生駒山のふもとは、なぜ「信仰のまち、占いのまち」になったのか?

    江戸時代、大阪は物を作って売る経済都市から金融都市へと発展した。米を売り買いする米相場で相場師たちが活躍。凶作で米価の値上がりを予想すれば先物を買い、豊作で米価の値下がりを予想すれば先物を売る。ドーンと儲けることもあれば、一夜にして一家離散するものもあった。

    時代の風を読み、財を産む。江戸時代の大阪商人にとって、頼れるのは神様、仏様。「最近どうですか」「おかげさんで」。「おかげさま」の言葉の中にはおそらく「神さん仏さん、皆さまのおかげで今日も生きていられます」という感謝の思いが込められていたのではないだろうか。

    古代から神の在わす生駒の山は、今も昔も、人生の荒波を行きぬく大阪人の心の拠り所なのかもしれない。

    ※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

    ※掲載情報は2025年2月時点のものです。掲載店舗・施設に関する最新の営業時間は各店舗・施設のHPなどでご確認ください。

    【東大阪三社めぐりガイド】2- 枚岡神社
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