日本の観光ショーケース

愛知 愛知県

侍と忍者の里 愛知

愛知県にゆかりのある服部半蔵と言えば、
忍者のイメージが強いですが、
徳川家に仕えた武士でもあります。
本能寺の変が起こった際、
「神君伊賀越え」で功績のあった服部半蔵が
尾張国鳴海宿で取り立てられた
200名の伊賀者の頭領となりました。
この忍者隊は、
尾張国鳴海で取り立てられたことから
「鳴海伊賀衆」と呼ばれました。

大阪からのアクセス

大阪からのアクセス

名古屋城

徳川家康が、天下普請として名古屋城を築城しました。戦災で焼失したが1959年(昭和34)、 金のシャチをいただく五層の大天守閣と小天守閣が再建されました。家康の子・義直が初代藩主として入り、 その後、御三家筆頭・尾張徳川家の居城として、栄えました。近世城郭築城技術の完成期にあたる当時の最新の技術が注ぎこまれています。

服部半蔵正成

戦国時代に松平氏から徳川氏の麾下で活躍し、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主である。 先祖は代々伊賀国花垣村余野の千賀地谷に居住し、周辺の地を治めてきた一族とされています。 また、「槍の半蔵」と異名を取る渡辺半蔵と並んで「鬼の半蔵」と呼ばれる槍の巧者でもあります。

中部国際空港セントレア

セントレアは、この地域の魅力ある観光資源「サムライ・ニンジャ」と外国人観光客のニーズを結びつけ、 ~セントレアと戦国時代の融合~をテーマに2018年7月よりサムライ×NINJAプロジェクトを開始しました。 2月22日忍者の日には職員や忍者隊が忍者衣装でお出迎えします。

©aichi-ninja

徳川家康と服部半蔵忍者隊®

愛知県の魅力・武将観光の発信を県内外にPRすることを目的に愛知県にゆかりのある服部半蔵を中心とした忍者集団です。 忍者隊は、毎日、名古屋城にて忍務中。平日は、おもてなしや写真撮影、土日祝日は、ニンジャショーを実施しています。 また、中部国際空港では毎月22日を「セントレア忍者の日」として、飛行機のお見送りなど、サムライニンジャ空港プロジェクトを盛り上げています。

木村奥之助と甲賀五人

木村奥之助

尾張藩二代藩主・光友の時、甲賀忍術の使い手である木村奥之助を「御鉄砲打」として召し抱えました。 奥之助は忍者を採用するようにと命じられ、甲賀へ戻り五人の忍者を採用しました。

戦国三英傑のふるさと

岡崎城

徳川家康は、岡崎城内で誕生しました。6歳で織田家、8歳で今川家の人質となり、桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した時に自立しました。 以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めました。家康が江戸に幕府を開いてからは、譜代大名にここを守らせました。 1959年には天守が3層5階建てに復興され、2006年には日本100名城に選定されています。

清州城

信長が那古野城から移って居城としました。信長はこの城から桶狭間の戦いに出陣しました。 信長と徳川家康との間で同盟が結ばれたのもこの城です(清洲同盟)。 本能寺の変で信長が斃れると、ここで清洲会議が行われ、城は次男・織田信雄が相続しました。 現在の清洲城天主閣は平成元年(1989)に再建され、清須の歴史を紹介する展示・映像など見ることができます。

東海地方の忍者紹介