日本の観光ショーケース

伊賀・名張
三重県伊賀市・名張市

忍者発祥の地 伊賀・名張

伊賀忍者は特定の家に使えることはなく、
各地の戦国大名に従軍して、
傭兵として出陣していました。
忍術や戦闘能力に秀でている者が多く、
数多くの戦で貢献したといわれています。
彼らは修験の山にこもって厳しい修行をし、
自ら精神や肉体を鍛えていたと考えられます。
戦場では情報収集を中心に、
夜襲や忍び込みや放火を行い、
鉄砲の扱いにも長じていたとされています。

大阪からのアクセス

大阪からのアクセス
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伊賀

伊賀流忍者博物館

世界一の忍術資料を誇る忍者の博物館です。外観は農家ですが、内部にはさまざまな仕掛けが隠されています。 展示室には、多数の忍具や忍者に関する貴重な古文書を集めた「忍術体験館」「忍者伝承館」があり、 本物の忍者道具や資料を見ることができます。伊賀忍者特殊集団阿修羅による忍術実演ショーも繰り広げられています。

伊賀

かたやき

忍菓と呼ばれ、伊賀忍者の携帯食であったといわれています。日持ちがするので合戦地では優秀な保存食として重宝されました。 その名のとおり硬く、日本一硬いせんべいとも言われています。ほどよい甘さと芳しい香り、歯ごたえのある、 素朴な伊賀地方を代表する銘菓です。

名張

赤目の滝

『赤目』の由来は、役の小角(えんのおづぬ)が滝に向かって行を修めていると、 不動明王が赤い目の牛に乗って出現したという伝説から来ています。赤目四十八滝(あかめしじゅうはちたき)は、 日本に数多く存在する四十八滝の一つで、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある、一連の滝の総称です。 伊賀忍者の祖百地丹波守が修行したところとも言われています。

名張

忍者修行の里 赤目四十八滝

赤目四十八滝で有名な名張市は、伊賀流忍者発祥の地・伊賀市のお隣のまち。赤目四十八滝の近隣にある忍者修行体験施設です。 そして、この赤目四十八滝は、忍者の修験スポットのひとつで、伊賀流忍者の祖といわれる百地丹波もここで修行したと言われています。 忍びの道具を使った修行を体験して伊賀流忍術の奥義を学べます。

名張

柏原城跡

1562年柏原城主瀧野十郎吉政が勧請。天正伊賀の乱で焼失後1593年再建。織田家と伊賀国諸勢力との戦いのひとつである、 第二次天正伊賀の乱において、伊賀衆の残存勢力が集結し、最後に立て籠った城。石垣で固めた土塁と深い空堀を巡らした強固な城でしたが、 織田勢の最初の攻撃でほぼ壊滅し、降伏しました。「決戦之地柏原城」の碑が立っています。

代表的な伊賀忍者

「浜松博物館蔵」

服部半蔵正成

代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主です。 先祖は代々伊賀国花垣村余野(現・伊賀市)の千賀地谷に居住し、周辺の地を治めてきた一族とされています。

百地丹波守

伊賀国名張郡(現:三重県名張市)から大和国宇陀郡(現:奈良県宇陀市室生)に渡る地域である竜口出身の地侍です。 『伊乱記』によれば丹波は百地家の一派で喰代(現:伊賀市)に住んだ人である。

藤林長門守

伊賀北部で近江国甲賀郡(現:滋賀県甲賀市)に境を接する阿拝郡湯舟郷(現:伊賀市湯舟)の出身。 子孫によって戦国の忍びの姿を今に伝える『萬川集海』がまとめられています。

東海地方の忍者紹介