小田原 神奈川県小田原市
風魔の里 小田原
風魔は北条氏に仕え、戦闘に参加し、
騎馬を得意とするほか、集団で行動をし、
ゲリラ戦を得意としていました。
風魔忍者については、
風魔忍者の頭領は代々「小太郎」を
名乗り風魔を取りまとめ、
北条家を陰から支えました。
風魔忍者に関わる文献はほとんど残ってなく、
多くの謎に包まれています。
大阪からのアクセス
小田原城
小田原城は、室町時代に大森氏が築いた城郭です。伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、 以後、5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心として整備され、 総構は城下を囲む総延長9kmに及びます。豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡しました。
伊勢宗瑞
氏綱、氏康、氏政、氏直と5代にわたり相模の小田原城を本拠として関東に雄飛し戦国大名となった後北条氏の祖。 北条早雲として知られています。戦国時代の戦国武将で、戦国時代黎明期に活躍したことから「最初の戦国大名」とも呼ばれています。 風魔を駆使して相模国を統一し、北条氏の関東支配の足掛かりを作りました。
石垣山一夜城
豊臣秀吉が小田原北条氏を15万の大群で包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれています。 この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、 白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。
NINJA館
戦国時代の北条氏を陰で支えたと言われる風魔忍者をモチーフに据え、忍者の存在が学べ、新鮮な体験・体感ができる展示となります。 映像や展示を通じて北条五代の歴史と風魔忍者について学ぶ施設です。触れたり動かしたりできるアイテムやデジタル技術の活用など 参加・体験型で、子どもから外国人まで幅広い層が楽しめます。
代表的な風魔
風魔小太郎
戦国時代に北条氏に仕え、身長2m以上、筋骨隆々とした大男で、牙が4本ある。 声を出せば5 km先にも届いたと言われています。
加藤段蔵
鳶(とび)加藤とも言われます。「小田原の風間が弟子」として、風間次郎太郎を伝授されたとされています。
二曲輪猪助
河越夜戦の時、風間小太郎の指南を受け、北条氏康の命を受けて、 敵方の上杉氏の陣に斥候として差し向けられ、大勝利に貢献しました。