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大阪三大繁華街、天王寺きたら寄ってって!大阪最古の商業都市・平野郷。古代から紡ぐ歴史の面影をたどる
2024.02.13
大阪市南部の繁華街・天王寺からJR大和路線に乗車し、5分でアクセスできるJR平野駅。周辺の「平野郷」と呼ばれるエリアは大阪で最も古い歴史を持つ集落で、平安時代初期には、すでに商業都市として栄えていました。中世には堺と並ぶ自治環濠都市に成長し、大坂夏の陣で焼き討ちに遭うもみごとに復興。江戸時代には木綿の集散地としてさらに発展しました。現在も街中に多くの古社寺が残り、堀の跡が見受けられるなど歴史好きにとってはたいへん魅力的な散歩スポットとして知られています。今回は、そんな歴史の街・平野郷の概要と立ち寄っておきたいマストなスポットを紹介します。
ココが見どころ!
・自治都市として発展した平野の歴史を知る
・随所に点在する遺構をめぐって歴史さんぽを楽しむ
・ノスタルジックな町並みに癒される
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平野郷の歴史は飛鳥時代にまで遡り、聖徳太子が全興寺に建てた薬師堂の周辺に町家が建ち並び始めたことが起源といわれています。南北約900m、東西約800mほどの集落は、中世に入ると巨大な水堀と土塁で囲まれた環濠集落となり、守護不入の地として惣年寄による自治が行われるようになりました。
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平野郷の最北端となるJR平野駅の周辺。ショッピングセンターの敷地と住宅の間の通路はもともと環濠で、このような堀の跡があちこちで見受けられます。
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JR平野駅を南下し、国道25号線を東に進むと現れるのは古河藩陣屋跡の石碑。江戸時代、たびたび領主が変わっていた平野郷は1713年から幕末まで下総国古河(現茨城県古河市)藩領となり、この陣屋跡には現在、小学校が建てられています。
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陣屋の門は小学校の表門を経て、現在は一部の古材が大念仏寺の南門として使用されています。陣屋門から薬医門へと建て替えられましたが、門扉などに陣屋の面影を見ることができます。
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古河藩陣屋跡のすぐ近くには平野郷のランドマークともいえる杭全神社があります。862年、坂上田村麻呂の孫で杭全郷の荘園領主だった坂上当道が現在の第一本殿・祇園社を建立したことが始まりとされる古社で、鎌倉時代末期に後醍醐天皇により第二本殿・熊野三所権現が勧請されると熊野権現の総社に改められました。
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境内の入り口にそびえる大楠は推定樹齢1000年を超えた大坂でも最古の古木。幹の太さが10mにもなり、大阪府の天然記念物に指定されています。
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境内には日本で唯一となる連歌所が現存しています。連歌は和歌の上の句と下の句を分けて複数人で詠み合う詩歌で、江戸時代には平野郷を発展させた七名家によってさかんに連歌会が催されていました。建物は現在、大阪市の有形文化財に指定されています。
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境内北東側には、かつて集落を取り囲んだ環濠が昔の姿のままで残されています。
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杭全神社から国道25号線沿いをさらに東へ進むと、大阪で最も古い民間の教育機関・含翠堂後の石碑に遭遇します。含翠堂は1717年に土橋友直らを中心に開設され、1872年まで155年間、平野郷民の教育に貢献しました。積み立てた基金によって窮民救済なども行うなど教育だけにとどまらない活動を行っていたことでも知られています。
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国道25号線から一歩路地に足をふみ入れると、町並みはタイムスリップしたかのように古き良き風情を漂わせます。残在橋筋と市門筋との辻にある「福本商店」は1624年に創業した和菓子の老舗。名物の亀乃饅頭は400年にわたって地元の銘菓として親しまれています。
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福本商店をさらに南下して商店街に入ると大阪市内で最も古い朝日新聞の販売店である「小林新聞舗」の「新聞屋さん博物館」があり、月に一度第4日曜日に開館しています。写真奥の店舗兼住居は国の登録有形文化財に指定されています(非公開)。
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「新聞屋さん博物館」の隣には平野郷発祥の地と言われる全興寺の北門があります。こちらは展示物や地獄堂と呼ばれる建物を見ることで、生きながらにして地獄・極楽を体験できる寺として人気の寺となっています。
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全興寺や「新聞屋さん博物館」の前の道から樋尻筋に進んだところにある樋尻口地蔵堂。このお堂には、大坂夏の陣で徳川家康が前を通ろうとしたときに爆薬を仕掛けて爆殺しようとしたという伝承があります。家康はタイミングがズレたことで難を逃れましたが、このときに吹き飛ばされたと思われる地蔵の頭部は現在、全興寺に祀られています。
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樋尻口地蔵堂の向かいには徳川家の旗本で、大坂夏の陣の際に深手を負ってこの地で自刃した安藤正次の墓があります。
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さらに東へ進むと平野郷民の飲料水として使われていた井戸の跡地へとたどり着きます。この井戸は水質の悪い平野の中で唯一良質の水が湧いていました。「平野の黄金水」と呼ばれるこの水で造った酒は豊臣秀吉に愛され、醍醐の花見に用いられたと伝えられています。
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平野公園の西側にある赤留比売命神社は、平安時代の法典『延喜式』にも記載されている古社で、もともと住吉神社の末社五社の一つでした。現在は杭全神社の境外社となっています。三十歩神社という愛称でも親しまれています。
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歴史ある町並みが多い平野郷の中でも、赤留比売命神社の西側は北東部と並んで多くの町家が残るエリア。歩いているだけでノスタルジックな感覚に包まれます。
ACCESS
電車の場合 JR大和路線 平野駅を下車。
出典:大和徒然草子
※掲載情報は2023年時点のものです。掲載店舗・施設に関する最新の営業時間は各店舗・施設のHPなどでご確認ください。