生誕地から小説の舞台まで~川端康成ゆかりの地めぐり 0

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「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」。誰もが知る一節で始まる「雪国」をはじめ、「16歳の日記」「伊豆の踊子」「山の音」「古都」「反橋」ほか数多くの名作を生んだ作家・川端康成。日本初のノーベル文学賞を受賞した彼は大阪市内で生まれたが、幼くして両親と死別。祖父母に引き取られ、旧制中学を卒業するまでの多感な時期を茨木市で過ごした。「世界のカワバタ」がここ大阪で如何に生きたか? 生誕の地を出発点に、ゆかりのスポットを訪ねるコース。意外な素顔に触れながら、彼が愛した日本の美も体感しよう。

地下鉄谷町線 南森町駅よりスタート

  • 徒歩5分

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1. 川端康成誕生地跡

まずは「天満の天神さん」の呼び名で親しまれている大阪天満宮へ。明治32年(1899)6月14日、川端康成は大阪天満宮の表門からほんの少し東、現在は料亭「相生楼」が建つ場所で生まれた。その門前に「川端康成生誕の地」の石碑が静かにたたずんでいる。大阪北区天満、当時の大阪市北区此花町のこの場所で、康成の父・栄吉は開業医として医院を営んでいたが、肺結核を患い、康成が1歳になるかならない内に死去。母・ゲンの実家近く(現在の東淀川区に)へ転居したが、その母も明治34年(1901)、1月に亡くなった。幼くして両親とも亡くした康成は翌年、祖父母に引き取られ、現在の茨木市宿久庄、当時の大阪府三島郡豊川村へと移り住む。ではここから、阪急電車で茨木へ。

  • 阪急電鉄 茨木市駅 徒歩1分

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2. 東本願寺茨木別院

大阪・梅田から阪急電車で約20分の茨木市。約100年前、大阪から祖父母と共にこの地に移り住んだ康成は身体が弱かったものの、祖父母に可愛がられて育ったという。明治39年(1906)4月に入学した豊川尋常小学校(現豊川小学校)では、成績も優秀。資料によると1年生の時の成績はすべて甲で、国語は2年生の時を除いてすべての学年で甲だったとか。明治45年(1912)、大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)に入学するが、5年生の時に尊敬する師・倉崎仁一郎先生の死に遭遇。茨木駅から歩いて約1分のここ茨木別院で、先生の葬儀を康成たち5年生の生徒全員で執り行った。葬儀の様子を康成が文章にしたところ、雑誌「団欒」に『師の棺を肩に』の題名で掲載されることになったそうだ。才能の片鱗が開花するきっかけとなったこの場所には、いま幼稚園が併設され、子どもたちの声で賑やか。本堂の屋根の手が込んだ木彫りの見事さに思わず、シャッターを連発。大阪・梅田から阪急電車で約20分の茨木市。約100年前、大阪から祖父母と共にこの地に移り住んだ康成は身体が弱かったものの、祖父母に可愛がられて育ったという。明治39年(1906)4月に入学した豊川尋常小学校(現豊川小学校)では、成績も優秀。資料によると1年生の時の成績はすべて甲で、国語は2年生の時を除いてすべての学年で甲だったとか。明治45年(1912)、大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)に入学するが、5年生の時に尊敬する師・倉崎仁一郎先生の死に遭遇。茨木駅から歩いて約1分のここ茨木別院で、先生の葬儀を康成たち5年生の生徒全員で執り行った。葬儀の様子を康成が文章にしたところ、雑誌「団欒」に『師の棺を肩に』の題名で掲載されることになったそうだ。才能の片鱗が開花するきっかけとなったこの場所には、いま幼稚園が併設され、子どもたちの声で賑やか。本堂の屋根の手が込んだ木彫りの見事さに思わず、シャッターを連発。


外部サイト  

  • 徒歩1分

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3. 虎谷誠々堂書店

茨木別院から歩いて1分、茨木心斎橋商店街の入り口の左手にあるこの書店は明治28年(1895)の創業。大正時代、中学生だった川端康成や大宅壮一なども立ち寄った。康成は本代の捻出に悩みながらもやはり、本の虫だったとか。開業当初の木造2階建ての建物はつい3年前まで残っていたものの、いまは1階が99円ショップ、2階は書店の事務所となってしまった。当時を偲ぶ年季の入った看板が保存されているので、是非、一見を。


外部サイト   

  • 徒歩5分

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4. 堀廣旭堂(ほりこうきょくどう)

虎谷書店から茨木府立高校を目指して6~7分歩いたところ、大通りに面して建つ4階建ての白い建物も本屋さん。この店で川端少年は度々、欲しい本を買っては読みふけっていたそうだ。入り口の横には、当時の古い看板が保存されている。川端文学ファンが度々訪ねてくるこの界隈、近くには、岡村洋服店や堀内タバコ店、岸田進行堂などなど、いまは営業をしていないが、懐かしい風情の看板を掲げる店が多い。先の戦争で運良く空襲を免れたおかげで、古い民家なども多く点在する街。キョロキョロしつつ、掘廣旭堂のまん前の交差点を渡り、2~3分歩けば府立茨木高校に到着だ。


  • 徒歩3分

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5. 川端康成文学碑

文学碑がある府立茨木高校に到着。正面玄関を入ってすぐ横に「以文会友」の4文字熟語が掲げられている。「文を以て友を会す」とは「学問を通しての交友」を意味する『論語』の中の言葉。同校の大正6年の卒業生である川端康成がノーベル文学賞を受賞した折、学校側が依頼して記念碑への言葉をもらい、完成したものだ。偉大なる大先輩の教訓のおかげか、現在、府立茨木高校は府下でも指折りの進学校。


  • 徒歩15分

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6. 川端康成文学館

府立茨木高校から再び歩くこと15分。虎谷書店がある大通りを目指し、更に川端通りに向かって進むと川端康成文学館に行き着く。昭和43年(1968)、日本で初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成に、茨木市は『茨木市名誉市民』の称号を贈るとともに、川端康成文学館を開館。館内では川端康成の遺影と共に著書、遺品、書簡、原稿、初版本など約400点が展示されている。ゆかりの場所や祖父母と過ごした家の模型を電子パネルで紹介するコーナーはユニーク。代表作のひとつ「16歳の日記」がどのような経緯で生まれたかも読み取れる。康成の誕生月である6月には、『生誕月記念企画展』などを開催。


観覧無料
072-625-5978
  • 市役所バス停前で阪急バス宿久庄下車、北西へ徒歩約5分

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7. 川端康成先生旧跡

記念館から市役所前バス停まで戻り、阪急バスで20分。宿久庄バス停で下車し、北西へ約100m進むと旧跡がある。3歳に満たないころに祖父母に引き取られ、大阪府立茨木中学校(現在の府立茨木高等学校)3年生のとき祖父を亡くすまで、康成はこの家で暮らしていた。現在は、姪に当たる川端富江さんと家族が住まわれている。康成はこの家から中学校まで約6kmの道のりを毎日歩いて通い、庭にある松の木に登ってはその上で本を読んでいたとか。元気な康成少年が目に浮かぶ。

  • JR&阪堺電車 約1時間

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8. 住吉大社 反橋

川端康成のゆかりの地を訪ねる1日。締めくくりは住吉大社へ。「すみよっさん」の愛称で親しまれ、海の神様としても知られる住吉大社のシンボルといえば朱塗りの反橋。急な傾斜で池に架かるこの橋を、川端康成は小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いた。橋の近くにはその一節の石碑も残る。静かな水面に映る橋はしっとりと美しく、川端康成が愛した日本の美の一場面をきっと体感できるはずだ。


06-6672-0753
外部サイト 


追加情報

味わいスポット:住吉大社近くの老舗洋食店「やろく」。名物コロッケはテイクアウトも可能です。
お土産: “世界のカワバタ”ゆかりの絵はがきをぜひ。国内外への便りに重宝しそう。