食い倒れの街
「京都の着倒れ、大阪の食い倒れ」と古くから言われています。京都は着物に、大阪は飲み食いに、贅沢をして財産を失うという意味です。くだいて言うと、京都の人は、衣装に大金をはたいて惜しまず、大阪人は、食を大切にしてお金を掛けて楽しむ、食道楽の気風があることを揶揄しているのです。 大阪人は、食べることに熱心で、食材の質を見極め、良い食材を余すところなく使い切る「始末の心」を持って料理します。
元々、大阪は、海の幸・山の幸に恵まれています。大阪湾は“魚庭(魚が遊ぶ庭=なにわ)”と呼ばれるほど魚介類が豊富に揚がり、多種類の野菜が作られてきました。さらに、江戸時代には、「天下の台所」と謳われるほどに、全国の食材が集まりました。良い食材が手に入る環境があり、それを料理するための切れ味の良い包丁が、堺で造られ、さらに、良い食べ手もいました。富裕な商人たちが、商談するために度々料理屋を使うことで、料理人は腕を磨き、料理が洗練されていきます。また、料理につきものの酒も、近隣に池田や伊丹、灘という銘酒どころがあり、上質な酒に見合うよう、料理の質が向上しました。 「食い倒れ」という言葉には、このような大阪の歴史と環境、大阪人の気風が込められているのです。
富裕な商人たちが、商談するために度々料理屋を使うことで、料理人は腕を磨き、料理が洗練されていきます。また、料理につきものの酒も、近隣に池田や伊丹、灘という銘酒どころがあり、上質な酒に見合うよう、料理の質が向上しました。 「食い倒れ」という言葉には、このような大阪の歴史と環境、大阪人の気風が込められているのです。