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大道旧山本家住宅
河内 歴史日本最古の官道「竹内街道」沿いの太子町山田餅屋橋のたもとにある古民家です。江戸時代にこの地域で流行した、瓦葺に茅葺があるのが珍しい、大和棟の形態をよく残しており、街道の面影を伝える住宅である。
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小野妹子墓
河内 歴史太井川東部の山麓に所在する東西約15㎞の楕円形の塚で、古くから小野妹子の墓と伝えられています。
妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸の隋に派遣された人物で、聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、池坊はこの塚を道祖の墓として祀っています。 -
敏達天皇陵
河内 歴史第30代敏達天皇は、572年に即位され、死後、母君の石姫皇后の墓である磯長の陵に葬られたと『日本書紀』は記しています。 敏達天皇陵は全長約93メートルの磯長谷では唯一の前方後円墳で、周囲には空濠を巡らせています。内部については全くわかりませんが、横穴式石室が採用されていると考えられています。また周辺から埴輪が出土し、これらから古墳時代の後期前半に築造されたと考えられています。
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用明天皇陵
河内 歴史第31代用明天皇は、『日本書紀』によれば、磐余の池上の陵に葬られますが、その後、推古元年(593)に「河内の磯長の陵」に改めて葬ったと記録されています。 用明天皇陵は、東西65メートル、南北60メートル、高さ10メートルの方墳で、周囲には幅7メートルの空濠を巡らせており、この濠の外堤までを含めた規模は、一辺100メートルに達する巨大な規模を有しています。墳丘規模や形が、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳とよく似ていることが注目されます。
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推古天皇陵
河内 歴史日本で初めての女帝である第33代推古天皇は、聖徳太子を摂政にし、大陸の隋との交渉によって先進的な政治制度や文化、芸術などを積極的に吸収し、政治の改革や仏教文化を中心とした飛鳥文化を花開かせました。
推古36年(628年)に崩御し、大和の竹田王子の墓に合葬され、後に、河内の磯長の陵に改葬されました。
推古天皇陵は、東西に長い三段築成の長方墳で、内部には2つの横穴式石室があると考えられています。 -
孝徳天皇陵
河内 歴史大化改新後に即位した第36代孝徳天皇は、改新に功績のあった蘇我倉山田石川麻呂らを政権に登用し、改新政治を推し進めました。しかし中大兄皇子らと不仲となった天皇は、難波宮で白雉5年(654)、孤独のうちに亡くなられ、大坂磯長陵に葬られました。 竹内街道沿いに位置する陵は、別名「うぐいすの陵」と呼ばれる直径約30メートルの小さな円墳です。かつて陪塚から海獣葡萄鏡という鏡が出土したと伝えられています。
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鹿谷寺跡
河内 歴史大阪と奈良との府県境にある二上山の山腹にあり、奈良時代に凝灰岩の岩盤を掘り込んで造られた日本では珍しい「大陸風」の石窟寺院で、規模は小さいものの、中国の雲崗石窟や竜門石窟を彷彿とさせるものです。
寺跡には、岩盤を掘り残して作られた、高さ約5mの十三重の石塔と岩窟内には線刻の三尊仏坐像が刻まれています。 -
岩屋
河内 歴史二上山の山腹、竹内街道の間道である岩屋峠近くに位置する岩屋は、奈良時代に造られた大小2つの石窟から成る石窟寺院です。大きいほうの石窟は、幅7.6メートル、高さ6.14メートル、奥行4.5メートルの規模をもち、中央には凝灰岩で造られた三重の石塔があります。 鹿谷寺跡と共に、我が国で唯一の大陸風の石窟寺院ですが、文献にも何ら記録がなく、どのような氏族が造営にかかわったのかもわからない、謎の多い寺跡です。
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道の駅「近つ飛鳥の里・太子」
河内 その他万葉集に詠まれ、ラクダの背のような形が特徴的な「二上山」の麓に位置し、すぐ横には、日本遺産に認定されている日本最古の官道「竹内街道」が通るなど歴史と自然が豊かな道の駅です。また、店内には太子町産の野菜や果物といった新鮮な農産物や加工品、お土産物が並ぶほか、無料休憩スペースの開放や観光案内所として観光案内等も行っています。
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白ゆりファーム いちご狩り
河内 ネイチャーアクティビティいちご狩りの体験ができます。