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しっとんか大阪

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4 – 千利休の足跡を巡って

2024.02.13

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INTRODUCTION

堺はかつて「黄金の日日」と謳われたこともあるほど、巨大な勢力を持つ港町だった。しかし、その痕跡はどこにあるのか?南海堺駅に降り立ったときは、その気配を感じ取れないかもしれない。それもそのはず、駅の辺りはかつて海で、埋め立てられ出来た土地なのだ。当時の海岸線、そして港はもっと内陸にあった。

この旅では港町・堺の黄金時代の物語を探しに行こう。堺を舞台に活躍したユニークな偉人たち、知的遊戯を愉しんだ茶の湯、そして輝かしい繁栄の裏に隠された、光が当たらない物語も見えてくるかもしれない。

07|さかい利晶の杜

堺幕府があったとされる場所に、現在観光スポット「さかい利晶の杜」がある。ここでは、千利休と茶の湯から歴史文化を解き明かす「千利休茶の湯館」があり、利休の足跡をたどることができる。

ここで、利休にまつわるひとつのエピソードを紹介しよう。利休には同じ師匠を持つ友人・丿貫がいた。ある日、茶会に誘われ、丿貫の元を訪ねると、地面を見ると落とし穴を掘ったような跡がある。しかも、何やら風呂の方からは煙が立ち昇っている。

丿貫の意図に気づいた利休だったが、知らぬ顔をして落とし穴に落ちた。当の丿貫は、誰がこんなことをと言わんばかりの顔で「風呂を用意していますよ」と言うのであった。

利休は、風呂に入って汗を流した後のお茶が一番美味いという、丿貫の道理に付き合うことにしたのだ。まるでキツネとタヌキの化かし合いのようにコミカルで、互いの知恵を競い合う高度な知的遊戯が、堺の茶人たちが育んだ茶の湯なのである。

08|千利休の屋敷跡

さかい利晶の杜の向かいには、千利休の屋敷跡がある。ここに在る井戸屋形は、利休とは切っても切り離せないほど縁深い、京都・大徳寺にある山門の木材を使われている。

利休が茶道を指南した天下人・豊臣秀吉。秀吉は利休を重用し、お茶だけでなく政治に関することも相談するほどの仲だったとか。しかし千利休は秀吉の怒りに触れ、切腹を命じられる。一体、何があったのか。

その理由には様々な説があるが、そのうちの一つに大徳寺の山門が関わっている。山門を改修する際に利休が出資し、そのお礼にと住職が利休の木像を山門の上部に安置した。すると秀吉は「山門を通るたびに、利休の足で踏み付けられているも同じではないか」と激怒したという。

さらに、茶道具を勝手に大量生産しようとしたとして「売僧の罪」にも問われた。希少価値の高い茶器を持つことが武士の誉れとされていたのにも関わらず、利休はお抱えの職人にオリジナルの茶器をつくらせた。茶人のトップが茶器をつくれば、秀吉が集めた高価な茶器は二の次となり、褒美としての価値も下がってしまうと畏れたのだ。

いくつもの理由をつけて、秀吉はいち商人である利休に切腹を命じた。茶の湯を大成し、時の権力者に大きな影響を与えた千利休。千利休とはどのような人物だったのか、しばし想像してみてほしい。

09|堺のけし餅

利晶の杜の近くには、けし餅を扱う和菓子屋がある。ここで甘いものを食べてひと休みしていこう。南蛮貿易により日本にやってきた芥子の実を使ってつくられた、けし餅。千利休が好んだことから、茶菓子として広く知られるようになったと言われている。

実は芥子は少量のアヘン成分を含んでおり、南蛮貿易ではモルヒネなど鎮静剤の原料として輸入されていた。もちろん、けし餅にはそういった危険な成分は入っていないので安心して食べてみてほしい。芥子の実のプチプチとした食感と、柔らかなお餅が相まってとても美味しい。

しかし、なぜ芥子が必要とされたのか。それは時が戦国時代であったことと深く関わっている。怪我の治療を行う際や、人を殺めて興奮状態に陥った兵士の鎮静剤として使われていたのだ。実はカフェインが含まれているお茶も、城攻めのときには欠かせない薬であった。夜襲に備える際の目覚まし代わりに、そして戦意を高める興奮剤として重宝されていた。

しかし戦乱の世が終わると、嗜好品として愛されるようになり、今日まで続いている。鉄砲に使われた火薬は花火になり、毒ガスは農薬になった。戦争が新しい産業を生みだすこともあるのだ。堺では刀鍛冶が大阪の食を支える包丁をつくるようになる。それは、黄金の日日が終わった後日談である。

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

※掲載情報は2024年2月時点のものです。掲載店舗・施設に関する最新の営業時間は各店舗・施設のHPなどでご確認ください。

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